自分はわがままなんじゃないか、甘いんじゃないか?
そう思わさせられてるのは、国家のオモウツボ。
そうやって、勤勉な姿勢が正しいあり方として、洗脳することで、
扱いやすい人民を作っているに過ぎないのだから。
甘いなら、壁にいつかぶちあたるだろう。
わがままなら、いつか、潰されるだろう。
そうやって知ればいいじゃないですか。
そうやって知って、じゃあその壁はどう乗り越えられるかを考えればいいんです。自分を矯正することなしに。
自分を矯正しなきゃ生きていけなかった、と言っていいのは死ぬときだけ。
そうやって生きていけば、自分を矯正せずに生きていけるようになるのが大抵ですから。
自分がわがままか、甘いかそうでないか、を迷う時間に何の意味があるのか?
そんな質問は間違っているのではないか?
結論を下して、何になるだろうか?
それがわかるのは、壁に当たった時であって、ぶつかる前にそんなことに結論を出すのは意味がない。
さあ、やってみるのかやらないのか。