お金がかかるという前提だから、お金がかかる情報しか得られない

捉えた通りの現実しか得られない。
勝手に、前提としていること縛られて、
本来もっと楽にできたり、逆に〇〇できたり、という本来得られることを逃し続けることになる。
 
例えば、家を得るということに関して、
家は買うものだという前提なら、
買う手段しか探さない。
その中で、安い、高いの話をするのであって、決して、0円で買おうという発想にはならない。
 
家を得る手段は、実はいくらでもある。
例えば作る。
0円で貰う。
有償でもらう。
これらはすべて、実際にあることで、買うという前提だから、お金を払う手段に縛られている。
 
また、
働くということに関しても、生きていくということに関してもそう。
 
働く=汗水流して、あくせく9時から20時まで残業当たり前
と思えば、そういうシゴトしか見つけられないだろうし、
 
あえて、それを選択していると言っても過言ではない。
 
実は見渡せばわかるのだが、そんな働き方をしなくったって、十分稼げるし、むしろ生きやすかったりする。
働きたくないなら、働かずに済む方法を考えるだけ。
どこかで、働かないという事を否定していたり、無意識のうちに選択肢として持たないから、働かなければならない未来しかない。
 
当たり前は、一歩引けば、当たり前でもなんでもない。
 
常識的なこと、現実的なこと、当たり前な事すべては真実でもなんでもない。
 
捉え方によっては、得られる情報も、得の仕方も、お金の得方も、がらりと違ってくる。
 
じゃあ、どう捉える?