この程度で、恥ずかしいから、出せない。と思う方へ。
いや、むしろその程度の奴らで溢れ返ってる世の中です。
あなたが、その程度だからこそ、共感できる人もたくさんいるんです。
その程度の話いまさらしてるの?って奴らの上には、その程度の話してるの?って奴らがいて、、、
またその下にも、いるんです。
頂点に立ったら、共感できる人は少ないし、わかってもらえる人も少ないですよ。
つまり、アウトプットしても、反応されにくいです。
自分が、その程度であることを恥じるよりもむしろ、喜んだほうがいいと私は思います。
そして、その程度である自分を記録しておく。
そうすれば、登れば登るほど、共感できる相手が増えていく。
ピラミッドの底辺らへんにいる時に、これに気づけたらラッキー。
起業家、成功者の夢に共通すること。
ゴールドラッシュで確実に利益を手に入れたのは、シャベルを売ったもの。
さて、シャベルを売った者は、シャベルを売りたいと前々から夢見ていただろうか?
起業家や、成功者と言われるような人にお話を伺うと、
今やっていることは、小さい頃からの夢でもなんでもなかったという。
ただ、自分の望んでいた、状態はほぼ得られているという。
将来の夢を持てと育てられ、その夢とは、たいてい職業で答えさせられること、やりたいことで答えさせられることが多かった。
しかし、幸せや、人生は、毎日(状態)でできているのであって、
職業など、一言で表せられることではない。
私たちがまず考えなくてはならないのは、どんな毎日(状態)が欲しいかではないのか?
そこから逆算すれば、やらなきゃいけないことは決まってくるはずだ。
私の知人の起業家は、欲しい状態が明確にあった。
そのために、起業する手段をとったし、
手がけたものは、一番始めやすいから、それだけだ。
それが猛烈にやりたかったわけでもなく、夢でもなかった!
そして、彼は今毎日を満喫している。
膨大な数の職業から一つ合うモノを探すというのがいかに不毛で、自分を無視したギャンブルであるかがわかるはずだ。
どんな状態(毎日)が欲しいですか?
やりたくないこと、答えられますか?
我慢することが美徳であったり、
何でもかんでも向き合うこと、逃げないことが正しいとされる日本で育ったせいか、
やりたくないことがハッキリと分からなくなってしまった人が多い。
いつもお伝えしているように、ヤリタイコト一つは分からなくて当然。
だって一つじゃないから。
そして、一つにする必要もないから。
そこをハッキリさせようとするよりも
もっと本来簡単で、しっかりと持っておきたいもの。
”やりたくないコト”
やりたくないコトが分からなくて、何でもかんでも自分でやろうとしたり、
あえて、そっちに行ってしまうコトもある。
そうするコトは、どんどんゴミをためているコトと同じこと。
ゴミを溜め込んで、大切なことに集中できると思いますか?
苦しむ日本人に必要なのは、断捨離。
やりたくないこと、やらなくていいこと、をハッキリさせる。
なんでも、我慢し、向き合い逃げないことがいい現実を作っていますか?
ゴミは捨てる。
抱え込みすぎ。
できないことは、人に、コンピューターに頼めばいいのだから。
やらなくていいこと、他に人にもできること、それは、あなたの価値を下げるだけ。
ゴミを増やし、時間を無駄にするだけ。
やりたくないことどれだけあげられますか?
そして、
どれだけ、実行できていますか?
既存のものにやりたいことはない。
やりたいことが実現したいことじゃなけりゃ、じゃあやればいいじゃん、それで?だけの話。
やりたいことは、実現したいこと。ならば、既存のもの(=すでに実現されていること)にやりたいことはない。
既存のものに、ぴったり希望がはまるというのは、宝くじに当たるよりも難しいのでは?
しっくりこないのは、既存のものの中で生きているからにすぎない。
ならば、自分で、作るしかない。
既存のものの中で探して、探しても探しても見つからなくて途方に暮れているのは、矛盾しているんじゃないか?
実現するのに必要なのは。人間。己の能力ではない。
実現するのに必要なのは、お金と人間。
お金を出してくれる人間、協力してくれる人間。
結局人間。
人が動けば、ほとんどのことは実現できる。
そして、その人を動かすことだって、自分で抱え込むのではなく、人にやらせることだってできる。
今や、世界中へ、呼びかけるのが簡単な時代。
自分で人を集められないなら、できる人を雇う。
クラウドソーシングを利用する。
このあたりが理解できれば、なんでもできる。
自分に必要なのは、
実現したいアイデアを持つこと。
実現するまでやめないこと。
いかに実現できるかを考えつづけること。それはいかに人間に動いてらえるかを考えること。
自分にしかできない仕事だけすること。
人はどうやったら動いてくれると思う?
移り気、飽き性のヤリタイコト
やりたいことをずっとやるというイメージで、やりたいこと探しに明け暮れる人がいる。
しかし、やりたいことというのは、
実現したいことであってもいいのでは?
何個でもあっていいのでは?
いろいろやっちゃっていいのでは?
ずっとやれるやりたいこと一つを探すというのは、ちょっと極端だと思う。
それって、
一生実現しないことを追いかけるか(あえて実現しないでいるとも言える)、
もうすでに、実現できてしまっていることに甘んじて、現状維持でダラケきっているか。
職人的な生き方を望んでいるか、
早く楽になりたいか、
のどちらかのようだ。
そんな極端なことを探し求める必要はない。もちろんそうしたい人はしてもいい。
ただ、そんな極端なことを探し求めて、苦しんでいるなら、
こっち側に来れば?というだけの話。
おそらく、苦しんでいる人は、そっちが合わないのだろうし、こっち側を知らないのだと思う。
雇われる前提で、キャリアを積まなくてはならないと思っているから、一つに絞ったり、一生かけてでも極めなければならないと躍起になって極端になっているんだと思う。
別に選択はそれ一つじゃないだろう。
それから離れられれば、
こっち側に来れば、
やりたいことだけ、どんどん実現して、いろんなことに手を出せて、できないことはやってもらって、協力を仰いで、、、
私みたいな、移り気、飽き性の人間でも生きていける。
移り気、飽き性な人間は、自分を無理やり、職人的な生き方にはめようとせず、
こっち側に来れば、楽になるし、
何より、能力が発揮される。
自分は職人的に生きていくのが楽しみなのか、それとも、絶望を感じているのか、
おそらく、これを読む人は、少なくとも、悩み、楽しみには思っていないだろう。
こっち側をお勧めする。
やりたいこと一つ!?冗談じゃない!!!
”やりたいこと”を一つ決めなくてはならないと思い込んでいる人が大勢居る。
それは、”就職”が前提にあるからだろう。
でも実は、人はやりたいことなんてなんぼでも見つかるし、
やりたいことなんてないと思っている人も、実は捉われと、抑圧によって見過ごしているだけで
どんどん出てくる。
そう、やりたい事を一つなんて、本当に無茶な話なのだ。
もし、それらやりたい事が可能なら?
一つに縛られる必要もなく、全部が存分にできるなら?
どうして、そういう人生の選択をしないのか。
あなたの中の人生の選択肢は、どんな職に就くか?それだけなのか?
それは選択肢の一つに過ぎない。
この世に絶対のルールなんてない。誰も作れないし、守れないからだ。神さまだって。
ならばどうして自分で作らない?
どんな働き方がしたいか?そもそも働かないで生きて行くという選択だってできるわけで。
方法なんていくらでもあり、後から付いてくるもの。真剣ならば。いかに実現するかを考え続けるならば。
そうして自分の生き方を作る際に考えることは、
自分が何をしたくないかだ。
自分でしなくていいことをしないことだ。
やりたくないことを明確にする。
これは何も消去法の話ではない。
やりたくない事、というのは、職業やら、の名前の付いた事柄の話ではなく、
どういうことを不快に感じるか、
面倒に感じるか、
裏返せば、人生に不快と面倒がなくなるんだ。どれだけ充実した時間が作れるだろう!!
捉われや、抑圧によって、そうした人生を作れずに苦しむ人が沢山いる。私もその一人だった。
可能性や、新しい思考、視点が自分のものとなった瞬間、重苦しかった壁も軽やかに超えていける。
そうしたきっかけを作りたい。